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愛されていないと思い込んでいた公爵令嬢。まさかの「魅了魔法」の正体と、家族の愛情が尊すぎる!
「妹ばかりが愛されている」「自分は家族に愛されていないのではないか」
そんな切ない思い込みから始まる本作。ところが、読み進めていくと、姉妹格差に見えたものの正体も、タイトルにある「理性的な魅了魔法」の意味も、想像とはまったく違う方向へ転がっていくのです。
これは、愛されていないと思い悩む公爵令嬢と、彼女を大切に思うあまりに盛大なすれ違いを起こしてしまった家族の物語。そして、一般的なイメージとはひと味違う、魅了魔法をめぐる異世界ファンタジーでもあります。
◆愛されていないと思い込むジュリエンヌの切なさ
主人公のジュリエンヌは、公爵家の長女にして王太子レアンドルの婚約者。将来の王妃にふさわしい淑女となるべく、幼いころから厳しい教育を受けてきました。
一方、十歳年下の妹シャルロットは、両親や兄弟、使用人たちから溺愛されています。甘いお菓子を楽しみ、家族と庭で過ごし、我が儘さえも許される妹。その姿を目にするたび、ジュリエンヌの心には疑問が膨らんでいきます。
どうして自分は、あんなふうに甘えられなかったのだろう。
どうして妹ばかりが、あんなにも愛されているのだろう。
ジュリエンヌだって、家族から愛されていなかったわけではありません。勉強を頑張れば褒められ、立派な淑女になれると期待され、婚約が決まったときには家族全員が喜んでくれました。
けれど、幼いころから厳しい教育を受け、王太子妃になるために努力し続けてきた彼女にとって、妹との待遇の差はあまりにも大きかったのです。
しかも、ジュリエンヌは王宮での妃教育を終えて帰宅しても、家族とのお茶の時間には加われません。疲れているだろうから休ませてあげようという母の配慮が、彼女には家族から遠ざけられているように感じられてしまう。
ここが本当に切ない!
愛情がないから厳しいのではなく、愛情があるからこそ厳しくしている。しかし、その理由を知らない本人には、愛情そのものが見えなくなってしまっているのです。
ジュリエンヌは妹を可愛がっているからこそ、そんな妹に嫉妬してしまう自分を責めます。家族を恨みたいわけでも、妹を嫌いになりたいわけでもない。ただ、自分だって甘えたかった。自分だって、無条件に可愛がられたかった。
この気持ちが、彼女の疑念をいっそう深めていきます。
◆まさかの魅了魔法! 疑いの矛先は妹から自分自身へ
そこでジュリエンヌが思いついたのが、魅了魔法の存在でした。
あれほど家族や使用人から溺愛されているシャルロット。もしかすると、彼女は無意識に魅了魔法を使っているのではないか。
もしそうなら、王太子であるレアンドルまで魅了されてしまうのではないか。
政略的な婚約である以上、自分でなければならない理由はない。そんな不安に駆られたジュリエンヌは、筆頭魔術師に相談することになります。
ところが、ここからが本作の面白いところ!
魅了魔法の使い手は、妹のシャルロットではありませんでした。
なんと、魅了魔法を使っていたのはジュリエンヌ本人だったのです。
この展開、思わず「そっちだったの!?」と声が出そうになります。
しかし、さらに興味深いのは、彼女の魅了魔法が一般的なものとはまったく異なる作用をしていたこと。
通常の魅了魔法は、使い手の私利私欲を満たすために他者の理性を奪い、使い手だけが利益を得る危険な魔法です。だからこそ禁忌とされてきました。
ところが、ジュリエンヌの魅了魔法は違います。
彼女を愛する者たちは、彼女の望みを叶えようとする。ただし、その望みは自分だけの幸福ではありません。立派な淑女になりたい。将来の王妃として責任を果たしたい。家族や大切な人々に幸せでいてほしい。
そうした願いが、周囲の人々をより良い方向へ動かしていたのです。
◆家族の愛情が深すぎる! 善意が生んだ盛大なすれ違い
本作の醍醐味は、真相が明かされた後の家族側の事情にあります。
ジュリエンヌが厳しい教育を受けていたのは、家族が彼女を大切に思っていなかったからではありません。むしろ、愛しすぎていたからこそ、彼女の望みを叶えようとしていたのです。
三歳になるころ、ジュリエンヌは「お姫様になりたい」と願いました。
家族はその言葉を、王族に嫁ぎ、王妃になることを望んでいるのだと受け止めます。そして、愛しい娘の夢を叶えるため、最高の教師を揃え、必要な教育を受けさせました。
もちろん、厳しい教育そのものが彼女を苦しめたことは事実です。しかし、家族にとっては、ジュリエンヌの将来を守るための愛情表現だったのです。
さらに、妹のシャルロットを甘やかしていたのも、姉であるジュリエンヌの妃教育を妨げないため。疲れているだろうからとお茶の席から遠ざけたのも、休息を与えたいという配慮からでした。
全部、愛情。
全部、善意。
なのに、本人には伝わっていない!
このすれ違いが、何とももどかしく、そして微笑ましいのです。
家族はジュリエンヌを愛している。ジュリエンヌも家族を愛している。それなのに、互いを思いやる気持ちが、かえって心の距離を生んでしまっていた。
誰かが悪意を持って陥れたわけでも、妹が姉の地位を奪おうとしたわけでもありません。だからこそ、真相が明らかになったときの安堵感が格別なのです。
◆王太子の恋心まで魅了魔法のせい?
そして、恋愛ものとして見逃せないのが、レアンドル王太子の存在です。
厳しい妃教育に励むジュリエンヌにとって、講義の後に設けられる王太子とのお茶の時間は、何よりの慰め。彼は彼女の努力を認め、苦労を分かち合い、優しく労わってくれます。
ただでさえ、こんな相手がそばにいたら心強いもの。互いに苦労を理解し合える関係というのが、また良いのです。
そして、魅了魔法の真相を知った王太子が気にすることといえば……。
自分のジュリエンヌへの恋心は、本当に自分自身のものなのか?
これまで彼女の一番近くにいて、彼女を支えてきたレアンドル。そんな彼の恋心にまで魅了魔法が関わっているのかどうかは、恋愛好きなら気になるところでしょう。
その疑問に対する答えも含め、王宮でのやり取りには思わず頬が緩みます。王太子としての責任を果たそうとする真面目さと、ジュリエンヌへの想いを抱える年頃の青年らしさ。その両方が見えるのも魅力です。
◆読み終えれば、家族の愛情にほっこりする一作
本作は、姉妹格差への不満や家族から愛されていないという不安を入口にしながら、最後には家族の深い愛情と、言葉にしなければ伝わらない思いを描き出します。
魅了魔法というファンタジー要素を使いながら、その根底にあるのはとても人間的なテーマです。愛しているから厳しくする。大切だから距離を置く。相手のためを思って選んだ行動が、必ずしも相手の望む形で伝わるとは限らない。
そして、愛情は与える側の自己満足だけでは完成しないのだということも、自然と感じさせてくれます。
ジュリエンヌが家族に甘えられなかった時間は戻りません。それでも、誤解が解け、家族の本心を知り、これまで遠慮していた甘え方を覚えていく彼女の姿には、温かな気持ちになります。
悪役への断罪や華々しいざまぁを楽しむタイプの物語とは少し違いますが、誤解が解けていく爽快感、愛されヒロインの尊さ、そして周囲の人々の愛情が明らかになる幸福感は、なろう系異世界恋愛やヒューマンドラマが好きな方にぴったり。
何より、タイトルの「理性的な魅了魔法」という言葉が、読み終えた後にはまったく違った意味を帯びてくるのが見事です。
愛されていないと思い込んでいた公爵令嬢が、実は周囲から愛されすぎていた。
そんな、優しくて微笑ましい大逆転を楽しめる短編です。
家族愛に癒やされたい方、すれ違いから始まるハッピーエンドが好きな方、そして「魅了魔法」と聞けば一波乱を期待してしまう方は、ぜひジュリエンヌの物語を読んでみてください。
読み終えたときにはきっと、彼女がこれから家族にたくさん甘えられることを願わずにはいられないでしょう。
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婚約破棄ざまぁの、その先に待つもの
婚約破棄、真実の愛、王子の暴走、そしてざまぁ。なろう系異世界恋愛ではおなじみの要素が詰まった本作ですが、読み終えたあとに残るのは、単純なスカッと感だけではありません。
タイトルの『修道院送り』という言葉が、物語の最後でまったく違う意味を帯びてくる。その鮮やかな落差が印象的な、短編ながらも後味の強烈な一作です。
物語の舞台は、王立貴族学院の卒業謝恩会。第二王子アレホが、婚約者である侯爵令嬢マルセリナに婚約破棄を突きつけます。理由は、彼が「真実の愛」で結ばれたという男爵令嬢ヘシカへの嫌がらせ。さらに、三人の高位貴族子息まで加わってマルセリナを責め立てるという、実にテンプレートど真ん中の展開です。
しかし、この物語が面白いのは、そんなおなじみの場面を、マルセリナが最初から冷静に受け流しているところ。
そもそも二人の婚約は、すでにアレホの有責で破棄されているのです。本人が学院で浮かれている間に、王家と侯爵家の間では話がついていたというのが、なんとも痛快。マルセリナにとっては、いまさら何を言っているのやら、という話なのです。
この時点で、読者としては「はいはい、やっちゃいましたね、第二王子殿下」とニヤニヤせずにはいられません。
しかも、アレホたちが並べ立てる冤罪は、マルセリナ本人だけでなく、友人や学院の教師によってきっちり論破済み。被害者が感情的に反論する必要すらなく、事実と手続きが淡々と相手を追い詰めていきます。
そして決定的なのが、アレホの「ヘシカと結婚し、彼女を王妃にする」という宣言。
第一王子が正式な王太子となっている状況で、第二王子が勝手に未来の王妃を決めたつもりになっているのですから、もはや恋愛脳という言葉では片付けられません。国王の目の前でやらかした結果、その場で拘束。真実の愛を叫んだ男の末路としては、あまりにも見事な自爆です。
ここで重要なのは、本作のざまぁが、単なる浮気や婚約破棄への仕返しにとどまらないこと。王族としての責任、貴族社会における婚姻の意味、そして王家と侯爵家の政治的な関係までが絡んでいます。
アレホの行動は、マルセリナ個人への侮辱であると同時に、彼女の背後にある侯爵家への侮辱でもある。だからこそ、処罰は本人の恋愛事情だけでは済みません。
結果、アレホは王位継承権を剥奪されて幽閉。取り巻きの高位貴族子息たちは、それぞれ領地で蟄居することになります。
このあたりの容赦のなさは、ざまぁ好きにはたまりません。自分たちの立場と権力を当然のように振りかざしていた者たちが、その立場と権力を失い、自由さえ奪われる。しかも、誰かが大仰な復讐劇を仕掛けたわけではなく、自分たちの愚かな振る舞いが招いた結果なのです。
そして、ここから本作はもう一段階、読者の予想を裏切ってきます。
中心人物であるヘシカに下された処罰は、修道院送り。
王子は幽閉、貴族子息たちは蟄居。それに比べると、ヘシカだけ処罰が軽いのではないか。そう感じる読者もいるでしょう。実際、マルセリナの侍女イベッテも同じ疑問を口にします。あれほどの騒動を引き起こしたのだから、もっと重い罰を受けるべきではないか、と。
しかし、マルセリナの返答が実に意味深なのです。
ヘシカのような女性にとって、娼館送りはむしろ褒美になりかねない。だからこそ修道院なのだ、と。
なるほど、そういうことか……と思わず膝を打ちたくなる一方で、修道院という場所に対する認識が、ここで大きく変わります。
イベッテは敬虔な信徒であり、修道院を神に仕える神聖な場所と考えています。罪を犯した者を捨てるためのゴミ捨て場ではない。彼女の言葉は、信仰を持つ人間としてまっとうなものです。
マルセリナもまた、修道院が本来は更生と信仰のための場所であることを否定しません。実際、過ちを悔い改め、修道女として生涯を全うした者もいるのだと語ります。
ここだけを読めば、罪を犯した者にも改心の機会を与えるという、穏当な結論に落ち着きそうです。
ところが。
「神の家へ行くということは……神の御許へ行くということよ」
この一言で、空気が一変します。
それまでの会話を振り返ると、マルセリナの言葉には、修道院が更生の場であるという説明と、ヘシカに対する明確な含みが同居していたことがわかります。そして、最後に明かされるコエメトリウム修道院の正体。
『コエメトリウム』とは、古代の言葉で「墓場」を意味する。
そこに住むのは、墓守の老女である修道院長のみ。
……いや、そういうことですか!
修道院送りという、なろう系では比較的おなじみの処罰。その言葉の裏側に、文字どおりの意味での「終わり」が隠されていたとは。最後の数行で、それまでの物語の見え方ががらりと変わります。
しかも、本作はヘシカの処遇を直接描写することなく、読者に想像させる形で幕を下ろします。だからこそ、かえって不穏さが際立つのです。どのような場所なのか、なぜ更生の見込みがない者だけがそこへ送られるのか。説明しすぎないからこそ、想像の余地が恐怖を膨らませます。
一方で、マルセリナ自身はすでに次の人生へと歩き出しています。新たな婚約者候補との顔合わせを控え、政略だけではなく相思相愛の関係を望みながらも、侯爵家の立場ゆえに自由には振る舞えない。彼女にとって、アレホとの婚約破棄は人生の一大事件であると同時に、片付けるべき問題のひとつにすぎなかったのでしょう。
この温度差もまた、本作の魅力です。自分の行いがどれほど重大なものなのか理解できず、愛だの正義だのを振りかざして破滅した者たち。その一方で、被害を受けたマルセリナは冷静に状況を見極め、家の責務を果たし、次の未来を考えている。
感情に流されず、身分と責任を理解した大人の女性が、愚かな男たちの自滅を見届ける。そんな構図が好きな方には、たまらないものがあるはずです。
そして何より、本作のざまぁは、派手な断罪劇で終わりません。王子の幽閉も、取り巻きの蟄居も、ヘシカの修道院送りも、それぞれの立場や性質に応じた処遇として描かれます。そのうえで、最後に待ち受ける真相によって、読者は「修道院送り」という言葉の恐ろしさを思い知らされるのです。
婚約破棄ものの定番を楽しみたい方にも、最後にひとひねりあるざまぁを読みたい方にもおすすめしたい作品です。
読み終えたとき、きっともう一度タイトルを見返したくなるでしょう。
そして、こう思うのです。
修道院送り――なるほど、そういう意味だったのか、と。
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常識が通じる人々の痛快さ! 逆ハーレムを企む聖女様、攻略対象に出会う前にゲームオーバーです!
「聖女が現れた!」「王子様とその側近が世話係に!」「これはもしかして逆ハーレムルート!?」
……なんて、乙女ゲームの世界に転生したヒロインなら、胸を躍らせてしまう展開かもしれません。
けれど、ここはゲームの中ではなく、れっきとした人間が暮らす異世界。身分も立場も婚約者も、それぞれに守るべきものがある現実の世界なのです。
本作『常識的に考えて』は、そんな当たり前のことを忘れてしまった自称・乙女ゲームのヒロインと、彼女を取り巻く王族や貴族たちの物語。なろう系の異世界恋愛やざまぁがお好きな方なら、思わず「そうそう、それでいいんだよ!」と頷きたくなる一作です。
物語の始まりは、アッヘンヴァル王国に聖女が現れたこと。
女神教正教会に聖女と認定された平民の少女ラーレは、貴族学院への編入を認められ、さらには王国の第一王子クリストフとその側近たちが世話係に選ばれることになります。
ところが、この話を聞いた第一王女ベティーナは、すぐさま疑問を呈します。
「何故、未婚の少女の世話係を同年代の異性が行うのか」
そう、そこなんですよ!
聖女だろうが何だろうが、彼女は平民の少女。貴族社会には貴族社会の常識があり、男女の付き合いには身分相応の作法や節度が求められます。しかも、相手は王子とその側近たち。全員に婚約者がいるというのに、なぜ彼らが一人の少女を囲むような配置になるのでしょうか。
ゲームならお約束の攻略対象勢ぞろいイベントでも、現実なら婚約者たちの立場も、周囲からの評判も、王族としての責任もあるのです。
この作品の面白さは、まさにここから始まります。
普通の乙女ゲーム転生ものなら、ヒロインが王子や美形の側近たちと出会い、イベントを重ね、婚約者である悪役令嬢たちと対立していく……という展開を想像するところでしょう。
しかし、本作の女性陣は違います。
第一王女ベティーナを筆頭に、王子の婚約者エーディトや側近たちの婚約者は、誰一人としてヒロインの都合に付き合うつもりがありません。彼女たちは自分たちの立場を理解し、社会の仕組みを把握し、何が問題なのかを冷静に見極めていきます。
特にベティーナの存在感が素晴らしい!
弟のクリストフが疑問を抱かずに話を進めようとするなか、彼女は聖女という肩書きに惑わされません。そもそも聖女とは何なのか。教会が認定しただけで、本当に特別な権威があるのか。なぜ貴族学院に編入する必要があるのか。そして何より、なぜ世話係が王子とその側近たちでなければならないのか。
一つずつ疑問を積み上げ、周囲の情報をつなぎ合わせていく姿には、読んでいて頼もしさを感じます。
しかも、彼女は単に弟を叱りつけるだけの姉ではありません。
クリストフの資質に不安を抱きながらも、彼が婚約者エーディトを大切にしていることはきちんと評価している。将来の国王としては心配でも、だからといって見捨てるわけではないのです。弟が成長できるように導き、必要ならば王族としての責任を果たせる環境を整えようとする。
このあたりに、ベティーナの有能さと身内への情の深さが表れています。
そして、彼女を支える女性陣も実に頼もしい。
宰相夫人や軍務卿といった要職に連なる人々から情報が集まり、王妃や王太后とも連携できる。表向きの権力者たちが頼りないなら、その背後で実務を担う女性たちが動けばいい。
将来的に王国を支えることになる女性陣の結束は、ある意味で本作のもう一つの見どころでしょう。
一方、クリストフや側近たちも、最初から完全な無能というわけではありません。ベティーナたちに指摘され、情報を与えられれば、ようやく自分たちの置かれた状況のおかしさに気づいていきます。
この「言われてみれば確かに……」という反応が、妙にリアルで面白いのです。
本人たちに悪意があるわけではない。けれど、聖女という言葉や教会からの依頼を疑いもなく受け入れ、周囲への影響を考えられていない。だからこそ、常識を持つ人々から見れば危うい。
そして、そんな彼らに常識を教えるのが、婚約者たちであり、姉であるベティーナなのです。
さて、肝心の聖女ラーレですが、こちらは見事なまでに乙女ゲーム脳。
前世の記憶が蘇ったことで、自分が乙女ゲームのヒロインなのだと思い込み、王子や側近たちを攻略対象と決めつけてしまいます。しかも、彼女が頼りにしているのは、確かなゲーム知識ですらありません。転生した世界が本当にゲームの舞台なのかも分からないのに、創作物で見たお約束を現実に当てはめているのです。
この思い込みの危うさが、実に痛快。
彼女にとっては攻略対象との出会いを実現するための行動でも、周囲からすれば非常識な要求でしかありません。男性神官を指名し、王子とその側近たちを世話係に望む。その一連の行動が、かえって教会への不信感を強めてしまいます。
本人は恋愛イベントのフラグを立てているつもりなのに、現実では警戒される材料を積み上げている。このすれ違いが、物語を軽快に進めてくれます。
さらに物語は、単なる逆ハーレム阻止にとどまりません。
国王自身が聖女と王子の婚姻を画策しているという情報が明らかになることで、問題の根が一気に深くなります。教会の思惑、王族の婚姻、宗教組織の権威、そして国王の個人的な欲望。聖女をめぐる騒動の背後には、王国の制度そのものを揺るがしかねない問題が潜んでいたのです。
ここで、物語の焦点が恋愛から政治へと広がるのも魅力的なところ。
一人の少女が夢見る逆ハーレムと、一国の王族が担うべき責任。その両者の間には、想像以上に大きな隔たりがあります。
そして、いざ問題が発覚すれば、ベティーナたちは国王の言葉を鵜呑みにすることなく、王太后と王妃という強力な味方を頼ります。国王に直接抗議するだけでは解決しないと見抜き、彼が逆らえない相手に話を通す。この抜け目のなさには、思わずニヤリとしてしまいました。
本作のざまぁは、派手な断罪劇や公開処刑を楽しむタイプというより、非常識な思惑が現実の常識と制度にぶつかり、企んだ本人の望みが一つずつ崩れていくタイプです。
ラーレは王子たちを攻略するどころか、学院への編入も世話係の配置も認められません。国王もまた、思いどおりに事を運べる立場ではなくなります。逆ハーレムどころか、恋愛ゲームのスタート地点にすら立てないという結末は、彼女の思い込みを考えれば実に皮肉が効いています。
その一方で、クリストフは婚約者エーディトとの関係を守り、姉や周囲の支えを受けながら国王への道を歩みます。三年後には無事に即位し、ベティーナも摂政として王国を支えることになる。問題を未然に防いだ者たちが、それぞれの立場で責任を果たしていく結末には、すっきりとした読後感があります。
そして、個人的に印象に残るのはラーレのその後です。
彼女は聖女の座を辞し、下町の定食屋の女将として暮らすことになります。王子の妃にも逆ハーレムの中心人物にもなれなかったけれど、最後には自分の身の丈に合った生活を送り、それなりの幸せを得たらしい。
ここがまた、本作らしいところだと思います。
悪役を徹底的に不幸にして終わるのではなく、身の丈に合った場所で暮らすという落としどころ。大それた夢を追いかけることだけが幸せではない、という結末には、どこか肩の力が抜けるような味わいがあります。
もちろん、恋愛面でも、婚約者たちが互いに大切に思い合っていることが物語の土台になっています。ヒロインが現れたからといって、男性陣が簡単に心変わりするわけではない。婚約者を大切にする気持ちがあり、守るべき約束があり、その関係を維持するために周囲も動く。
だからこそ、逆ハーレムが成立しないことそのものが、これほど気持ちよく感じられるのでしょう。
「聖女だから特別扱いされて当然」「自分はヒロインだから攻略対象は自分を好きになるはず」という思い込みに対して、周囲が返す答えは至ってシンプル。
常識的に考えて、それはおかしいでしょう。
タイトルの言葉が、物語全体を貫く一本の軸になっています。
異世界転生、聖女、乙女ゲーム脳、逆ハーレム、婚約者たちの結束、王族の政争、そしてざまぁ。なろう系でおなじみの要素を盛り込みながら、最後にものを言うのは、肩書きや願望ではなく、現実を見て判断する力です。
派手な恋愛イベントを期待していたヒロインが、攻略対象に出会う前に自滅していく様子を楽しみたい方。婚約者を大切にする男性陣が好きな方。有能な令嬢たちが連携して問題を解決する展開が好きな方。そして、非常識な振る舞いがきちんと現実の結果につながる、すっきりしたざまぁを読みたい方。
そんな読者におすすめしたい一作です。
読み終えたあと、きっとこう思うはず。
乙女ゲームのお約束も、聖女という肩書きも、逆ハーレムの夢も、現実の常識には勝てない。
何事も、常識的に考えて。
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試し行動で16年の婚約を失った王子。恋愛小説の「不器用な恋」は、現実ではただの信頼破壊です。
「セラフィマ、私との婚約を解消してほしい」
いつものお茶会で婚約者から告げられた、突然の婚約解消。
けれど、セラフィマは取り乱さない。理由を問い詰めることも、泣いて縋ることもせず、淡々と家に報告すると告げるだけ。
それに焦った婚約者のイシドル第一王子は、なんと彼女に向かって叫ぶのです。
「そなたは! やはり私を愛してなどいないということだな!」
……いや、何を言っているんですか、殿下。
本作は、婚約者の愛情を確かめるために婚約解消を持ち出した王子と、そんな愚かな試し行動によって恋心を失った公爵令嬢セラフィマの物語です。
いわゆる「ざまぁ」ものですが、ただ婚約破棄した王子が没落して終わり、という話ではありません。
この作品の魅力は、恋愛感情と信頼関係は別物であり、相手を愛しているからといって何をされても許せるわけではないという、至極真っ当な現実を描いているところにあります。
セラフィマは、ただの政略結婚の駒ではありません。
幼いころから王族に連なる者としての教育を受け、将来の王妃にふさわしい教養と振る舞いを身につけ、貴族社会の複雑な人間関係にも対応できるよう努力してきた女性です。
それは彼女自身のためだけではなく、婚約者であるイシドルを支えるためでもありました。
本来ならば、そこまでの努力を必要としない立場だったにもかかわらず、彼の婚約者だからこそ求められるものを理解し、一つひとつ積み重ねてきたのです。
しかも、彼女は決して冷淡な女性ではありません。
政略によって結ばれた婚約だからこそ、互いの気持ちを言葉や態度で伝える必要があると理解し、イシドルに対しても愛情を惜しまず示してきました。
人前では完璧な淑女として振る舞いながら、二人きりのときには素直に笑い、甘え、時には怒る。
そんな彼女の姿を知っていたはずのイシドルが、それでもなお愛情を疑い、わざわざ婚約解消という重大な言葉を使って彼女の反応を試そうとするのです。
そりゃあ、冷めますよね。
むしろ、ここで泣いて縋らず、婚約解消の申し出を正式な手続きに乗せようとするセラフィマの対応に、彼女がどれほど現実を理解しているのかが表れています。
婚約とは、恋人同士の口約束ではありません。
ましてや、王家と公爵家の当主が定めた婚約です。個人の感情だけで簡単に決められるものではなく、彼女が一存で承諾も拒否もできないのは当然のこと。
それなのにイシドルは、自分が婚約解消を口にしたことの重さも、彼女が置かれている立場も理解していません。
自分の思い描いた反応が返ってこないと、今度は「愛していない」と責め立てる。
……いや、あなたが試しているのは彼女の愛情ではなく、彼女があなたの理不尽をどこまで許容するか、ではありませんか?
ここが本作の実に痛快なところです。
恋愛小説の世界では、好きな相手ほど意地悪をしてしまう少年や、わざと嫉妬させて愛情を確かめようとする男性が、最終的には恋を実らせることがあります。
しかし、それは物語だからこそ成立する展開。
現実にそんなことを繰り返されたら、相手の気持ちは離れていくばかりです。
愛情を伝えても信じてもらえず、何度も試され、そのたびに証明を求められる。そんな関係を一生続けたいと思えるでしょうか。
しかも、二人が将来なるはずだったのは国王夫妻です。
伴侶の愛情さえ信じられず、ことあるごとに試さずにはいられない人物が、臣下の忠誠や周囲の人間の信頼を大切にできるのか。
セラフィマの怒りは、単なる失恋した女性の感情にとどまりません。王妃となる立場から、そして一人の人間として、イシドルの本質を見抜いた結果でもあるのです。
そして、ざまぁの展開も実に鮮やか。
セラフィマは感情的に騒ぎ立てることなく、父公爵に事実を報告します。公爵は王家に婚約解消を申し入れ、国王もまた、孫である第一王子のあまりの幼稚さに呆れることに。
結果、十六年に及ぶ婚約は白紙撤回。
さらに、イシドルは王位継承順位を最下位に落とされます。
自分の愛情を確かめるための、ちょっとした駆け引きのつもりだったのでしょう。
けれど、彼が失ったのは婚約者の愛情だけではありません。将来の王妃となるはずだった有能な女性との縁も、王位を継ぐ資格も、自らの行動によって手放してしまったのです。
これぞ、まさしく自業自得。
セラフィマが復讐のために何かを仕掛けたわけではないのも、個人的には好きなポイントです。彼女はただ、自分の立場を理解して正しい手続きを踏み、信頼できない相手との関係を終わらせただけ。
その結果として王子が失墜するのですから、余計な仕掛けがなくても十分に痛快です。
そして、母娘のお茶会で語られる「恋人は恋情があればどうとでもなります。けれど夫婦は信頼がなければ円満な関係は望めません」という言葉が、物語全体をきれいに締めくくっています。
恋愛感情があれば、多少のすれ違いは乗り越えられるかもしれない。
けれど、相手を信じることができず、相手の愛情を一方的に要求し続ける関係では、いずれ限界が訪れる。
ましてや結婚は、一時の恋心だけで成立するものではありません。
本作は、婚約破棄という定番の題材を通して、愛されることばかりを求める人間と、互いに信頼し合う関係を築こうとする人間の違いを描いています。
そして何より、十六年間も努力してきたセラフィマが、婚約者に見捨てられたかわいそうな令嬢として終わらないのがいい。
彼女は自分の価値を相手の評価に委ねず、失った恋を惜しみながらも、次の人生へと歩き出します。
最後には、新たな婚約者を探すという未来まで用意されているのも嬉しいところ。
今度こそ、彼女の愛情を疑わず、彼女自身の努力や気持ちを尊重し、互いに信頼し合える相手と出会ってほしいものです。
一方、イシドル殿下にはぜひとも、自分が何を失ったのかをじっくり考えていただきたい。
愛情は、試験問題ではありません。
相手を追い詰めて反応を引き出すことと、相手から愛されていることは違います。
そして、何度も愛情を証明させようとすれば、いつか本当に愛情を失う日が来るのです。
「好きだから試す」ではなく、「好きだから信じる」。
そんな当たり前のことを、王子という立場にありながら理解できなかったイシドルの自業自得と、彼に見切りをつけたセラフィマの潔さを、ぜひ味わっていただきたい一作です。
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婚約破棄から始まる、侯爵令嬢の静かなる王家見限り譚
婚約者が王女を優先し、婚約者である令嬢を蔑ろにする。
なろう系異世界恋愛では、もはやおなじみともいえる展開です。王女の護衛を理由に婚約者との約束を反故にし、王女と騎士の「真実の愛」を周囲に吹聴する。そんな物語なら、普通は婚約破棄からのざまぁ展開を期待するところでしょう。
しかし、本作が面白いのは、そこからさらに一歩踏み込んでいるところです。
「そもそも、王家は何をしているの?」
そう。問題は、愚かな王女と婚約者だけではないのです。
本作の主人公アストリットは、ベーレンドルフ侯爵家の次期当主。婚約者ウーヴェが王女ヤスミーンを優先し、夜会のエスコートを直前になって断ったことをきっかけに、ついに婚約破棄を決意します。
けれど、彼女は泣き崩れたり、王女に直接乗り込んでいったりするような令嬢ではありません。
そもそも、ウーヴェに対する評価はかなり早い段階から固まっています。侯爵家の入り婿となる予定なのに、領政ではなく騎士の道を選び、王女直属の近衛隊に入ったことで婚約者としての義務もおろそかにする。おまけに、自分が王女の護衛をしているから問題ないと思い込んでいるのですから、もう救いようがありません。
しかも、彼が所属するのは王国の近衛騎士団ではなく、王女の私兵集団。本人は騎士として認められたつもりでも、実際には公的な身分も得ていないというのが、なんとも皮肉です。
このあたり、肩書や立場を理解せず、自分に都合のいい解釈だけで行動する人物の滑稽さがよく描かれています。
そして、アストリットが優れているのは、こうした問題を個人的な恋愛のもつれだけで終わらせないことです。
王女と騎士の恋物語を盛り上げるために、正当な婚約者であるアストリットが悪役に仕立て上げられる。そんな噂が広まれば、本人だけでなく、彼女の実家である筆頭侯爵家の名誉にも関わります。
そこで侯爵家の分家や寄子貴族たちが取った対策が実に巧妙。
噂を頭ごなしに否定するのではなく、その噂が王女の醜聞や王家への批判につながることを、相手に気づかせるのです。
王女に婚約者がいないのはなぜなのか。すでに婚約している騎士と親密になるのは、不貞を容認することにならないのか。そして、そんな醜聞になりかねない噂を王家が放置しているのは、いったいどういうことなのか。
どれも、言われてみれば当然の疑問ばかり。
それをあくまで「そう受け取られかねませんわね」と柔らかく伝えることで、噂を広める側に自分たちの言動の危うさを自覚させていく。このやり方が実に気持ちいいのです。
声高に怒鳴る必要も、無理に相手を言い負かす必要もない。相手の言い分をそのまま受け止めたうえで、そこから導かれる結論を示せばいい。
アストリット自身もさることながら、彼女を支える分家や寄子たちの有能さにも拍手を送りたくなります。
さて、ここからが本作の真骨頂。
王女と騎士の不始末を放置した王家も、同じように責任を問われるべきではないのか。
アストリットが問題にしているのは、まさにそこです。
王家が噂を知らなかったのなら、王女の周囲で何が起きているのか把握できていないということ。知っていたのに放置していたのなら、筆頭侯爵家の次期当主が悪役扱いされることを容認していたということ。
どちらに転んでも、王家にとっては都合の悪い話です。
しかも、これは単にアストリット個人の面子が潰されたという話ではありません。筆頭侯爵家がそのような扱いを受けるのであれば、ほかの貴族家はどうなるのか。王家が貴族をどのように見ているのかという、政治的な問題にまで発展してしまいます。
恋愛沙汰を放置した結果、王家と貴族の信頼関係そのものに亀裂が入る。
王女の自由奔放な振る舞いを甘やかしていたら、いつの間にか国家の根幹に関わる問題になっていました、というわけです。
いや、これは王家も頭を抱えるしかありませんね。
もっとも、アストリットは王家に復讐するために大騒ぎするわけでもありません。彼女が選ぶのは、一族を引き連れて王城から身を引くという、静かで、それでいて非常に重い決断です。
国のためには働く。しかし、王家のためには働かない。
この線引きがまた絶妙なのです。
貴族としての責務を放棄するわけではない。領地を守り、国の一員としての役割は果たす。けれど、自分たちを軽んじる王家に、これまでと同じように忠誠を尽くす義理もない。
筆頭侯爵家が王城から去るということは、単に有能な人材が何人かいなくなるという話ではありません。公職から退いた一族の穴を誰が埋めるのか、政治的な均衡はどうなるのか。王家が軽く考えていた問題の代償は、決して小さくありません。
そして、アストリットを気遣い、実際に問題の解決に協力したフェルゼンシュタイン大公家への信頼が深まっていくのも、納得の展開です。
自分たちを大切にしてくれる相手と縁を結び、自分たちを蔑ろにする相手とは距離を置く。個人の婚約問題から始まった話が、いつしか家同士の信頼と国家の将来を左右する話へと広がっていきます。
もちろん、ざまぁ要素もしっかりあります。
婚約者としての義務を果たさなかったウーヴェは婚約破棄され、実家からも追い出されます。自分は騎士だと思い込んでいた彼が、近衛騎士団の寮に入ろうとして初めて自分の立場を知るくだりなど、見事な自業自得です。
王女もまた、望んだ相手と自由に結ばれてめでたしめでたし、とはいきません。最終的には遠方の小国へ嫁ぐことになり、彼女の親衛隊も同行して、その地で生涯を過ごすことになります。
ただし、本作のざまぁは、婚約者や王女を懲らしめて終わりではありません。
愚かな人間を罰すること以上に、その愚かさを放置した組織がどのような代償を払うのか。
そこまで描かれているからこそ、読後の満足感がひと味違うのです。
そして、最後まで読んだ方なら、きっと気づくはずです。
この作品、タイトルは「王家も我が家を馬鹿にしてますわよね」ですが、実のところアストリットたちも、王家のことを相当見限っています。
表向きは礼儀正しく、言葉遣いも丁寧。けれど、その内側では王家の能力や判断を冷静に見定め、もはや信頼に値しないと判断すれば、さっさと次の手を考えているのです。
終盤、王家の情報収集能力に疑問を抱き、領地の防備を固めることや、大公家との関係を深めることを考え始めるアストリット。そして最後にこぼれる、公国という選択肢。
この締め方が実にいい。
婚約破棄のざまぁを読んでいたはずなのに、気づけば王国の政治体制そのものが揺らぎかねないところまで話が進んでいるのですから。
恋愛に浮かれた王女と騎士。その二人を放置する王家。対して、感情に流されることなく、家の名誉と利益、そして将来を見据えて動く侯爵令嬢。
華やかな恋物語の裏側にある、貴族社会の利害と信頼関係を楽しめる作品です。
婚約破棄ものが好きな方はもちろん、「本人たちだけでなく、周囲の大人や組織は何をしているの?」と気になってしまう方にもおすすめ。
愚かな婚約者を切り捨てたら、王家まで見限ることになりました。
そんな一筋縄ではいかない、痛快な婚約破棄ざまぁをぜひお楽しみください。