忍者ブログ

夢見る仔猫の雑記帳

創作サイト『夢見る仔猫』の雑記帳

修道院送り

婚約破棄ざまぁの、その先に待つもの

婚約破棄、真実の愛、王子の暴走、そしてざまぁ。なろう系異世界恋愛ではおなじみの要素が詰まった本作ですが、読み終えたあとに残るのは、単純なスカッと感だけではありません。

タイトルの『修道院送り』という言葉が、物語の最後でまったく違う意味を帯びてくる。その鮮やかな落差が印象的な、短編ながらも後味の強烈な一作です。

物語の舞台は、王立貴族学院の卒業謝恩会。第二王子アレホが、婚約者である侯爵令嬢マルセリナに婚約破棄を突きつけます。理由は、彼が「真実の愛」で結ばれたという男爵令嬢ヘシカへの嫌がらせ。さらに、三人の高位貴族子息まで加わってマルセリナを責め立てるという、実にテンプレートど真ん中の展開です。

しかし、この物語が面白いのは、そんなおなじみの場面を、マルセリナが最初から冷静に受け流しているところ。

そもそも二人の婚約は、すでにアレホの有責で破棄されているのです。本人が学院で浮かれている間に、王家と侯爵家の間では話がついていたというのが、なんとも痛快。マルセリナにとっては、いまさら何を言っているのやら、という話なのです。

この時点で、読者としては「はいはい、やっちゃいましたね、第二王子殿下」とニヤニヤせずにはいられません。

しかも、アレホたちが並べ立てる冤罪は、マルセリナ本人だけでなく、友人や学院の教師によってきっちり論破済み。被害者が感情的に反論する必要すらなく、事実と手続きが淡々と相手を追い詰めていきます。

そして決定的なのが、アレホの「ヘシカと結婚し、彼女を王妃にする」という宣言。

第一王子が正式な王太子となっている状況で、第二王子が勝手に未来の王妃を決めたつもりになっているのですから、もはや恋愛脳という言葉では片付けられません。国王の目の前でやらかした結果、その場で拘束。真実の愛を叫んだ男の末路としては、あまりにも見事な自爆です。

ここで重要なのは、本作のざまぁが、単なる浮気や婚約破棄への仕返しにとどまらないこと。王族としての責任、貴族社会における婚姻の意味、そして王家と侯爵家の政治的な関係までが絡んでいます。

アレホの行動は、マルセリナ個人への侮辱であると同時に、彼女の背後にある侯爵家への侮辱でもある。だからこそ、処罰は本人の恋愛事情だけでは済みません。

結果、アレホは王位継承権を剥奪されて幽閉。取り巻きの高位貴族子息たちは、それぞれ領地で蟄居することになります。

このあたりの容赦のなさは、ざまぁ好きにはたまりません。自分たちの立場と権力を当然のように振りかざしていた者たちが、その立場と権力を失い、自由さえ奪われる。しかも、誰かが大仰な復讐劇を仕掛けたわけではなく、自分たちの愚かな振る舞いが招いた結果なのです。

そして、ここから本作はもう一段階、読者の予想を裏切ってきます。

中心人物であるヘシカに下された処罰は、修道院送り。

王子は幽閉、貴族子息たちは蟄居。それに比べると、ヘシカだけ処罰が軽いのではないか。そう感じる読者もいるでしょう。実際、マルセリナの侍女イベッテも同じ疑問を口にします。あれほどの騒動を引き起こしたのだから、もっと重い罰を受けるべきではないか、と。

しかし、マルセリナの返答が実に意味深なのです。

ヘシカのような女性にとって、娼館送りはむしろ褒美になりかねない。だからこそ修道院なのだ、と。

なるほど、そういうことか……と思わず膝を打ちたくなる一方で、修道院という場所に対する認識が、ここで大きく変わります。

イベッテは敬虔な信徒であり、修道院を神に仕える神聖な場所と考えています。罪を犯した者を捨てるためのゴミ捨て場ではない。彼女の言葉は、信仰を持つ人間としてまっとうなものです。

マルセリナもまた、修道院が本来は更生と信仰のための場所であることを否定しません。実際、過ちを悔い改め、修道女として生涯を全うした者もいるのだと語ります。

ここだけを読めば、罪を犯した者にも改心の機会を与えるという、穏当な結論に落ち着きそうです。

ところが。

「神の家へ行くということは……神の御許へ行くということよ」

この一言で、空気が一変します。

それまでの会話を振り返ると、マルセリナの言葉には、修道院が更生の場であるという説明と、ヘシカに対する明確な含みが同居していたことがわかります。そして、最後に明かされるコエメトリウム修道院の正体。

『コエメトリウム』とは、古代の言葉で「墓場」を意味する。

そこに住むのは、墓守の老女である修道院長のみ。

……いや、そういうことですか!

修道院送りという、なろう系では比較的おなじみの処罰。その言葉の裏側に、文字どおりの意味での「終わり」が隠されていたとは。最後の数行で、それまでの物語の見え方ががらりと変わります。

しかも、本作はヘシカの処遇を直接描写することなく、読者に想像させる形で幕を下ろします。だからこそ、かえって不穏さが際立つのです。どのような場所なのか、なぜ更生の見込みがない者だけがそこへ送られるのか。説明しすぎないからこそ、想像の余地が恐怖を膨らませます。

一方で、マルセリナ自身はすでに次の人生へと歩き出しています。新たな婚約者候補との顔合わせを控え、政略だけではなく相思相愛の関係を望みながらも、侯爵家の立場ゆえに自由には振る舞えない。彼女にとって、アレホとの婚約破棄は人生の一大事件であると同時に、片付けるべき問題のひとつにすぎなかったのでしょう。

この温度差もまた、本作の魅力です。自分の行いがどれほど重大なものなのか理解できず、愛だの正義だのを振りかざして破滅した者たち。その一方で、被害を受けたマルセリナは冷静に状況を見極め、家の責務を果たし、次の未来を考えている。

感情に流されず、身分と責任を理解した大人の女性が、愚かな男たちの自滅を見届ける。そんな構図が好きな方には、たまらないものがあるはずです。

そして何より、本作のざまぁは、派手な断罪劇で終わりません。王子の幽閉も、取り巻きの蟄居も、ヘシカの修道院送りも、それぞれの立場や性質に応じた処遇として描かれます。そのうえで、最後に待ち受ける真相によって、読者は「修道院送り」という言葉の恐ろしさを思い知らされるのです。

婚約破棄ものの定番を楽しみたい方にも、最後にひとひねりあるざまぁを読みたい方にもおすすめしたい作品です。

読み終えたとき、きっともう一度タイトルを見返したくなるでしょう。

そして、こう思うのです。

修道院送り――なるほど、そういう意味だったのか、と。

PR

コメント

コメントを書く