婚約破棄から始まる、侯爵令嬢の静かなる王家見限り譚
婚約者が王女を優先し、婚約者である令嬢を蔑ろにする。
なろう系異世界恋愛では、もはやおなじみともいえる展開です。王女の護衛を理由に婚約者との約束を反故にし、王女と騎士の「真実の愛」を周囲に吹聴する。そんな物語なら、普通は婚約破棄からのざまぁ展開を期待するところでしょう。
しかし、本作が面白いのは、そこからさらに一歩踏み込んでいるところです。
「そもそも、王家は何をしているの?」
そう。問題は、愚かな王女と婚約者だけではないのです。
本作の主人公アストリットは、ベーレンドルフ侯爵家の次期当主。婚約者ウーヴェが王女ヤスミーンを優先し、夜会のエスコートを直前になって断ったことをきっかけに、ついに婚約破棄を決意します。
けれど、彼女は泣き崩れたり、王女に直接乗り込んでいったりするような令嬢ではありません。
そもそも、ウーヴェに対する評価はかなり早い段階から固まっています。侯爵家の入り婿となる予定なのに、領政ではなく騎士の道を選び、王女直属の近衛隊に入ったことで婚約者としての義務もおろそかにする。おまけに、自分が王女の護衛をしているから問題ないと思い込んでいるのですから、もう救いようがありません。
しかも、彼が所属するのは王国の近衛騎士団ではなく、王女の私兵集団。本人は騎士として認められたつもりでも、実際には公的な身分も得ていないというのが、なんとも皮肉です。
このあたり、肩書や立場を理解せず、自分に都合のいい解釈だけで行動する人物の滑稽さがよく描かれています。
そして、アストリットが優れているのは、こうした問題を個人的な恋愛のもつれだけで終わらせないことです。
王女と騎士の恋物語を盛り上げるために、正当な婚約者であるアストリットが悪役に仕立て上げられる。そんな噂が広まれば、本人だけでなく、彼女の実家である筆頭侯爵家の名誉にも関わります。
そこで侯爵家の分家や寄子貴族たちが取った対策が実に巧妙。
噂を頭ごなしに否定するのではなく、その噂が王女の醜聞や王家への批判につながることを、相手に気づかせるのです。
王女に婚約者がいないのはなぜなのか。すでに婚約している騎士と親密になるのは、不貞を容認することにならないのか。そして、そんな醜聞になりかねない噂を王家が放置しているのは、いったいどういうことなのか。
どれも、言われてみれば当然の疑問ばかり。
それをあくまで「そう受け取られかねませんわね」と柔らかく伝えることで、噂を広める側に自分たちの言動の危うさを自覚させていく。このやり方が実に気持ちいいのです。
声高に怒鳴る必要も、無理に相手を言い負かす必要もない。相手の言い分をそのまま受け止めたうえで、そこから導かれる結論を示せばいい。
アストリット自身もさることながら、彼女を支える分家や寄子たちの有能さにも拍手を送りたくなります。
さて、ここからが本作の真骨頂。
王女と騎士の不始末を放置した王家も、同じように責任を問われるべきではないのか。
アストリットが問題にしているのは、まさにそこです。
王家が噂を知らなかったのなら、王女の周囲で何が起きているのか把握できていないということ。知っていたのに放置していたのなら、筆頭侯爵家の次期当主が悪役扱いされることを容認していたということ。
どちらに転んでも、王家にとっては都合の悪い話です。
しかも、これは単にアストリット個人の面子が潰されたという話ではありません。筆頭侯爵家がそのような扱いを受けるのであれば、ほかの貴族家はどうなるのか。王家が貴族をどのように見ているのかという、政治的な問題にまで発展してしまいます。
恋愛沙汰を放置した結果、王家と貴族の信頼関係そのものに亀裂が入る。
王女の自由奔放な振る舞いを甘やかしていたら、いつの間にか国家の根幹に関わる問題になっていました、というわけです。
いや、これは王家も頭を抱えるしかありませんね。
もっとも、アストリットは王家に復讐するために大騒ぎするわけでもありません。彼女が選ぶのは、一族を引き連れて王城から身を引くという、静かで、それでいて非常に重い決断です。
国のためには働く。しかし、王家のためには働かない。
この線引きがまた絶妙なのです。
貴族としての責務を放棄するわけではない。領地を守り、国の一員としての役割は果たす。けれど、自分たちを軽んじる王家に、これまでと同じように忠誠を尽くす義理もない。
筆頭侯爵家が王城から去るということは、単に有能な人材が何人かいなくなるという話ではありません。公職から退いた一族の穴を誰が埋めるのか、政治的な均衡はどうなるのか。王家が軽く考えていた問題の代償は、決して小さくありません。
そして、アストリットを気遣い、実際に問題の解決に協力したフェルゼンシュタイン大公家への信頼が深まっていくのも、納得の展開です。
自分たちを大切にしてくれる相手と縁を結び、自分たちを蔑ろにする相手とは距離を置く。個人の婚約問題から始まった話が、いつしか家同士の信頼と国家の将来を左右する話へと広がっていきます。
もちろん、ざまぁ要素もしっかりあります。
婚約者としての義務を果たさなかったウーヴェは婚約破棄され、実家からも追い出されます。自分は騎士だと思い込んでいた彼が、近衛騎士団の寮に入ろうとして初めて自分の立場を知るくだりなど、見事な自業自得です。
王女もまた、望んだ相手と自由に結ばれてめでたしめでたし、とはいきません。最終的には遠方の小国へ嫁ぐことになり、彼女の親衛隊も同行して、その地で生涯を過ごすことになります。
ただし、本作のざまぁは、婚約者や王女を懲らしめて終わりではありません。
愚かな人間を罰すること以上に、その愚かさを放置した組織がどのような代償を払うのか。
そこまで描かれているからこそ、読後の満足感がひと味違うのです。
そして、最後まで読んだ方なら、きっと気づくはずです。
この作品、タイトルは「王家も我が家を馬鹿にしてますわよね」ですが、実のところアストリットたちも、王家のことを相当見限っています。
表向きは礼儀正しく、言葉遣いも丁寧。けれど、その内側では王家の能力や判断を冷静に見定め、もはや信頼に値しないと判断すれば、さっさと次の手を考えているのです。
終盤、王家の情報収集能力に疑問を抱き、領地の防備を固めることや、大公家との関係を深めることを考え始めるアストリット。そして最後にこぼれる、公国という選択肢。
この締め方が実にいい。
婚約破棄のざまぁを読んでいたはずなのに、気づけば王国の政治体制そのものが揺らぎかねないところまで話が進んでいるのですから。
恋愛に浮かれた王女と騎士。その二人を放置する王家。対して、感情に流されることなく、家の名誉と利益、そして将来を見据えて動く侯爵令嬢。
華やかな恋物語の裏側にある、貴族社会の利害と信頼関係を楽しめる作品です。
婚約破棄ものが好きな方はもちろん、「本人たちだけでなく、周囲の大人や組織は何をしているの?」と気になってしまう方にもおすすめ。
愚かな婚約者を切り捨てたら、王家まで見限ることになりました。
そんな一筋縄ではいかない、痛快な婚約破棄ざまぁをぜひお楽しみください。
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