愛していたのに、どうしてこうなった? ――自分の愚かさに最後まで気づけない王子の後悔譚
前作『試し行動なんて、馬鹿ですか』で、婚約者の愛情を試そうとして自ら婚約を失ったイシドル第一王子。
本作は、そのイシドル視点で描かれる後日譚です。
前作では、婚約解消を告げられたセラフィマが、怒りと失望の末にきっぱりと彼を見限りました。では、婚約者を失ったイシドルは、その後どうなったのか。
答えは、タイトルがすべてを物語っています。
「試した心算などなかった」
そう。本人には、試しているつもりなどなかったのです。
ただ、愛してほしかった。
自分を愛していると、もっと強く、もっとわかりやすく示してほしかった。
……だからといって、何をしても許されるわけではありませんけれど!
本作の面白さは、前作で描かれた出来事を、加害者側であるイシドルの視点から追体験できるところにあります。
幼いころのイシドルにとって、セラフィマは特別な存在でした。
初めて会ったとき、幼いながらも淑女らしく振る舞う彼女が、二人きりになった途端に不安そうに「わたくしがでんかのおよめさんになってもいいですか?」と尋ねる。その姿に心を動かされ、彼は彼女に恋をします。
セラフィマもまた、イシドルを慕っていました。
王子教育の厳しさに苦しむ彼を励まし、努力を認め、好きだと何度も伝える。公の場では完璧な淑女でありながら、彼の前では年相応の感情を見せてくれる。
彼女は確かに、彼を愛していたのです。
ところが、ここから歯車が狂い始めます。
優秀なセラフィマと比較されることに劣等感を抱いたイシドルは、彼女からの愛情表現に安心するようになります。そして、その安心はいつしか慢心へと変わっていく。
彼女は自分を愛している。
自分たちは婚約者なのだから、簡単に離れることなどない。
多少のことをしても、彼女は自分のもとにいてくれる。
そうして、彼はセラフィマの愛情を疑うどころか、彼女が自分を愛していることを当然の前提として考えるようになってしまいます。
この変化が、実に怖い。
愛されていると信じること自体は悪いことではありません。しかし、相手の愛情を当然のものと考え始めたとき、人はその気持ちを大切にすることを忘れてしまうのでしょう。
そして現れたのが、地方貴族の令嬢アデリーナです。
感情を隠さず、積極的に身体を寄せ、好きだとわかりやすく伝えてくる彼女。セラフィマとは違う態度に、イシドルは惹かれていきます。
一方、セラフィマは婚約者としての立場をわきまえ、王族に侍る女性の適格性を見極め、必要な注意を与えているだけ。
それなのに、アデリーナが「嫉妬したのだ」と告げると、イシドルはそれを喜んでしまうのです。
セラフィマが自分を愛しているからこそ嫉妬する。
自分への愛が深いからこそ、アデリーナを排除しようとする。
彼にとって、セラフィマの厳格さや注意は、王妃候補としての責任感ではなく、自分への恋情を証明する材料になってしまいました。
しかも、本人はアデリーナを側室にするつもりなどありません。自分の妻はセラフィマだけでいいと思っているのです。
だからこそ、余計に厄介なのですよね。
セラフィマを愛している。彼女と結婚したい。彼女以外の女性を妻にするつもりはない。
それなのに、彼女が自分を愛していることを確信するために、彼女を傷つけるような振る舞いを繰り返してしまう。
自分の望みと、自分の行動が、まったく噛み合っていないのです。
そして迎える、あの婚約解消のお茶会。
イシドルは本当に婚約を解消するつもりなどありませんでした。セラフィマが慌てて泣いて縋り、自分への愛情を全身全霊で示してくれることを期待していたのです。
ところが、彼女は冷静に応じ、父公爵に報告すると告げて立ち去ろうとします。
そこで初めて、イシドルは自分の思い描いていた展開が崩れたことに気づきます。
しかし、彼はそこで自分の行動を振り返ることができません。
彼女がなぜ取り乱さなかったのか。
なぜ婚約解消を受け入れたのか。
なぜ自分のもとを去ってしまったのか。
その答えを考える代わりに、彼は「本当は愛されていなかったのだ」と結論づけてしまうのです。
いや、違うでしょう!
彼女は何度も好きだと伝えてくれていたではありませんか。
あなたが努力していることを認め、あなたの婚約者でいられることが幸せだと、何度も言ってくれていたではありませんか。
それなのに、彼女の言葉を信じることなく、もっと強い愛情表現を求め続けたのは、ほかならぬあなた自身なのです。
本作は、そんなイシドルの後悔を描きながらも、彼に都合のよい救済を与えません。
彼はセラフィマを愛していたのでしょう。少なくとも、本人はそう信じています。
けれど、愛していたという気持ちだけで、相手を傷つけた責任が消えるわけではありません。
そして、彼が失ったものは婚約者だけではありませんでした。
国王である祖父から王位継承権を最下位に落とされ、ついには王籍まで抹消され、辺境の田舎にある陪臣伯爵家へ入り婿として送られることになります。
かつて次期王太子として将来を約束されていた王子が、すべてを失ってしまったのです。
それでも、彼の最後の言葉は変わりません。
「ただ、セラフィマに泣いて縋って愛を示してほしかっただけなのに。」
……最後まで、そこなのです。
自分が彼女の愛情を信じなかったことではなく、彼女が自分の期待どおりに愛情を示してくれなかったことを嘆いている。
自分が彼女に何をしたのかよりも、自分が何をしてほしかったのかを考えている。
この結末が、なんともいえず印象的です。
よくあるざまぁ作品なら、失脚した王子が自分の愚かさを悟り、失ったものの大きさに打ちひしがれる展開もあるでしょう。しかし、本作のイシドルは最後まで自分の問題の核心にたどり着きません。
だからこそ、後悔が終わらないのです。
自分は愛していた。愛してほしかった。それなのに、どうしてこんなことになったのか。
その問いを繰り返しながら、彼はきっとこれからも、自分が失ったものの大きさを理解しきれないまま生きていくのでしょう。
前作でセラフィマが示した「信頼のない夫婦関係は成り立たない」という考えが、本作ではイシドルの人生そのものによって裏打ちされています。
愛情を求めることと、相手に愛情を強要することは違う。
愛していることと、相手を大切にできることも違う。
そして、どれほど相手を愛していたと主張しても、相手の気持ちを尊重できなければ、その愛は相手に届かないことがあるのです。
前作を読んだ方には、ぜひ続けて読んでいただきたい一作です。
セラフィマの視点では、愚かな王子に見切りをつけた爽快な婚約解消劇。
イシドルの視点では、自分の望みを叶えようとした結果、自らの手で幸福を壊してしまった後悔譚。
同じ出来事なのに、視点が変わるだけで、これほどまでに見え方が変わるのかと感じさせられます。
愛していたのに、信じられなかった。失いたくなかったのに、失うようなことをした。
その矛盾に最後まで気づけないイシドルの姿に、呆れ、憤り、そして自業自得の結末に納得する。
そんな、ほろ苦さの残るざまぁを味わいたい方におすすめしたい物語です。
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