「かわいそう」と「王にふさわしい」は、まったく別の話。
最初にタイトルの『王族だから仕方ないでしょう』を見たときは、どんなお話なのだろうと思いました。けれど、読み終えてみれば、なるほど、このタイトルに込められた意味はそういうことか、と深く納得させられました。
本作は、亡くなった第一王子レオナルトの日記が公開されたことをきっかけに、彼の人生と王位継承をめぐる問題を、伯爵令嬢エレノアが冷静に分析していく宮廷ドラマです。
日記に綴られていたのは、父王から十分な愛情を与えられず、母親には王位を継ぐための道具として扱われ、婚約者にも愛されなかった第一王子の孤独。
それを読んだ人々は、彼に同情します。
確かに、気の毒な境遇です。
幼い頃から周囲の大人たちの思惑に振り回され、自分より優秀な弟と比較され、心から望んだものを手に入れられなかった。
そんな人生を送った人間に、同情するなというほうが難しいでしょう。
ところが、そこで登場するのがエレノアです。
「馬鹿じゃないの?」
この一言が、実に痛快!
周囲が故人への同情に傾いていくなか、彼女は感情に流されず、事実を一つずつ確認していきます。
そして、明らかになっていくのは、単純な「かわいそうな王子」の物語ではありませんでした。
◆ 恵まれていたのは、いったい誰だったのか?
本作で面白いのは、第一王子と第二王子の対比です。
第一王子レオナルトには、優秀な教師がつけられ、苦手分野に対する個別指導も行われていました。学習方法も見直され、失敗したときには改善の機会が与えられていた。
一方、側室腹である第二王子ユリウスは、兄ほど恵まれた教育環境にあったわけではありません。
それなのに、学問でも政治的な判断力でも、弟のほうが優れていたのです。
もちろん、だからといって、レオナルトに何の問題もなかったとは言いません。
彼には彼の苦しみがありました。母親からの過度な期待、父親の愛情不足、弟に対する劣等感。幼い子供が抱えるには、あまりにも重いものだったのでしょう。
けれど、教師たちの記録を読んでいくと、見えてくるものがあります。
彼は最初から何もできなかったわけではない。
努力しても無駄だったわけでもない。
むしろ、一度は自分の弱さを認め、努力を始めていたのです。
苦手な科目に取り組み、間違いを見直し、教師の助言を受け入れ、少しずつ成長していく。
ここだけを切り取れば、立派な成長物語です。
しかし、彼は弟に勝てなかった。
そして、努力をやめてしまった。
この展開が、本当に考えさせられます。
努力すれば必ず一番になれるわけではありません。どれだけ頑張っても、自分より優れた人間がいることはあります。
そのとき、どうするのか。
自分に足りないものを認め、学び続けるのか。それとも、努力しても勝てない自分を直視したくないから、努力そのものを放棄してしまうのか。
レオナルトが選んだのは、後者でした。
「弟は恵まれている」「教師の質が違う」「僕が努力しても評価されない」
そうやって他人や環境に責任を求めれば、自分の限界を認めずに済みます。
しかし、それでは何も変わりません。
ここが、本作の大きな見どころだと思います。
◆ 婚約者は、王子の孤独を埋めるための道具ではない
もう一つ、強く印象に残ったのが、公爵令嬢アデライードの存在です。
彼女もまた、王家の都合によって人生を左右された一人でした。
本来は第二王子ユリウスと親しく、将来の婚約も視野に入っていた。それが政治的な事情によって、第一王子レオナルトの婚約者にされてしまいます。
彼女だって、自分の望みを諦めなければならなかったのです。
それでもアデライードは、婚約者としてレオナルトを理解しようとします。
苦手な歴史の課題に取り組んでいると聞けば、参考になる本を持っていく。少しでも彼と関係を築こうと、歩み寄ろうとする。
ところが、レオナルトは彼女の親切を素直に受け取れません。
「君はユリウスのほうが好きなのだろう。僕に同情しているだけなら、余計なことはしなくていい」
……これは、つらい。
愛されたいのに、相手の好意を信じられない。
関係を築きたいのに、自分が傷つくことを恐れて相手を遠ざけてしまう。
レオナルトの心情を考えれば、理解できる部分もあります。
けれど、アデライードだって傷ついているのです。
自分の気持ちを無視され、政治の駒にされ、それでも相手を理解しようと努力しているのに、その努力まで拒まれてしまう。
彼女が語る「自分の心を押し殺してまで、誰かの孤独を埋める義務はない」という趣旨の言葉には、深く頷かされました。
そうなんですよね。
どれほどつらい境遇にいる人でも、周囲の人間がその人のために自分を犠牲にし続けなければならない、ということにはなりません。
同情と義務は違う。
愛情と奉仕も違う。
相手に愛されたいのなら、相手もまた自分と同じように感情を持った人間なのだと理解しなければならない。
この物語は、そんな当たり前でいて、なかなか難しいことを突きつけてきます。
◆ ざまぁの先にある、責任という結論
いわゆる「ざまぁ」系の物語が好きな読者としても、本作には見応えがあると思います。
ただし、ここで描かれるのは、単純に誰かを悪者にして断罪するだけの物語ではありません。
レオナルトは確かに問題を抱えていました。しかし、彼をそのような人間にしてしまった環境にも問題があった。
王妃は息子を王位につけることに執着し、国王は第二王子を守るための政治的判断を優先する一方、第一王子の心に十分に向き合わなかった。
そして、王家の都合によって、アデライードもまた犠牲になった。
誰か一人の責任にして終わらせるには、あまりにも多くの事情が絡み合っています。
だからこそ、王位継承をめぐる審議の場面が印象的でした。
第一王子の境遇に問題があったことは認める。
国王自身の責任も明らかにする。
そのうえで、王位継承者としての適性は別に判断する。
この結論が、とてもいい。
不幸だったから王位を返してあげよう、ではない。
親に愛されなかったから責任を問うべきではない、でもない。
王になるということは、国民の生活と王国の未来を預かるということです。
その立場に必要な能力や資質を備えているかどうかは、本人の境遇への同情とは切り離して判断しなければならない。
そして、第一王子の継承順位の変更は維持される一方で、彼を取り巻いていた環境を整えられなかった国王の責任も記録に残される。
ここに、本作の誠実さを感じました。
レオナルトだけを断罪して終わるのではなく、彼を苦しめた大人たちにも責任を問う。それでもなお、彼自身が選んだ行動については、なかったことにしない。
誰かが傷つけられた事実と、その人が他人を傷つけた事実は、同時に成立するのです。
◆ エレノアの正論が、心地よい
そして、やはり主人公のエレノアが魅力的です。
彼女は、相手の感情を無視しているわけではありません。レオナルトが孤独だったことも、愛情を求めていたことも、違う環境なら別の人生があったかもしれないことも認めています。
それでも、判断すべきところでは判断する。
かわいそうだったことと、王になるべきだったことは別。
努力が報われなかったことと、努力をやめた責任も別。
そして、誰かに傷つけられたことと、自分が誰かを傷つけた責任も別。
彼女の言葉には、余計な感傷に流されない強さがあります。
こうした主人公が、記録や証言を積み重ねながら、周囲の認識を少しずつ変えていく展開は、読んでいて気持ちがいいものです。
声の大きい人間の主張や、同情を誘う物語だけで結論を出すのではなく、実際に何があったのかを調べ、複数の立場から考える。
エレノアの冷静さがあるからこそ、物語の結論にも説得力が生まれているのだと思います。
◆ 最後に
本作は、王位継承をめぐる宮廷ドラマでありながら、人が成長すること、他人を理解すること、そして自分の行動に責任を持つことを描いたヒューマンドラマでもあります。
レオナルトは、不幸な人でした。
彼が十分な愛情を得られなかったことは、悲しい事実です。彼がもっと早く自分の弱さを認め、努力を続けることができていたなら、違う未来もあったかもしれません。
けれど、王位は、愛されなかった人への慰めではありません。
王族だからといって、特別に責任を免除されるわけでもない。
むしろ、背負うものが大きい立場だからこそ、求められる資質もまた大きいのです。
そして、この物語を読み終えたとき、タイトルの意味が改めて胸に響きます。
「王族だから仕方ないでしょう」
それは、王族だから何をしても許されるという意味ではありません。
王族だからこそ、果たすべき責任がある。
王族だからこそ、私情だけでは決められないことがある。
王族だからこそ、その地位にふさわしいかどうかを問われる。
その厳しさを、エレノアは少しも曖昧にしません。
同情すべきところは同情する。
責任を問うべきところでは問う。
そして、過去の不幸を理由に、現在の判断まで歪めない。
そんな彼女の姿勢が、最後まで一貫しているのが本作の魅力です。
「かわいそうな人だった」という感想だけでは終わらせない物語を読みたい方に、ぜひおすすめしたい一作です。
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