聖女を殺したから神罰が下った? いいえ、救いを自ら捨てたのは人間です。
聖女が現れた。王家は聖女を囲い込んだ。聖女は処刑された。そして、国は滅びた。
こうしてあらすじだけを並べてみると、なろう系ではおなじみの「聖女追放もの」や「聖女を虐げた愚かな王族へのざまぁもの」に見える本作。しかし、読み始めてみれば、よくある聖女追放劇とは少し違う視点から描かれた、なかなかに考えさせられるショートショートです。
そもそも、聖女を排除したから災害が起きたのでしょうか?
本作が問いかけるのは、まさにそこ。
舞台となるA国では、近い将来に人間の技術では対処できない大規模な旱魃が発生することが予測されています。そこで神様は、国を救うために聖女を遣わすのですが……人間側の対応が、もう何とも言えません。
村々で水不足を救う奇跡を起こした少女。人々は彼女を聖女と呼び始め、やがて王家の耳にもその評判が届きます。
そして王家が考えたことは、聖女を囲い込んで王子の婚約者にすること。
いや、ちょっと待ってください。国を救うために現れた存在を、どうして王家の所有物にしようとしているんですか!?
しかも、聖女に求められるのは癒やしの力や豊穣の恵み。ところが、神様の視点からすれば、それらは彼女の権能外。聖女には聖女として果たすべき役割があり、神殿を巡って祈祷を行うことこそが、迫り来る災害への対策だったのです。
つまり、人々が期待していた奇跡と、本当に必要とされていた奇跡は違っていた。
このすれ違いが、本作の悲劇の始まりです。
聖女を囲い込んだことで、本来必要だった活動は妨げられる。ところが、国王と近臣たちは状況を正しく理解しようとせず、聖女を蔑ろにすれば神罰が下るという誤った認識に囚われていきます。
その結果、聖女は国を救う存在から、国を脅かす存在へと扱いを変えられ、ついには投獄され、殺されてしまうのです。
ここまで読んでいると、怒りが込み上げてきます。
自分たちの都合で聖女を囲い込んだのは誰なのか。彼女に勝手な役割を押しつけたのは誰なのか。そして、最後には救いの手を自ら振り払ったのは誰なのか。
言うまでもありません。全部、人間です。
そして聖女の死後、国を襲うのは、予測されていた旱魃と、それに伴う大規模な飢饉。やがてA国は滅亡します。
ここで本作が実に面白いのは、この結末を単純な「神様が怒ったから罰を与えた」という構図にしていないこと。
聖女が死んだから神罰が下ったのではない。
災害を防ぐために聖女が遣わされたのに、人間が自らの愚かさによってその対策を潰してしまった。
それが真相なのです。
この真相を明かす神様の語り口も、個人的には好きなポイント。深刻な国の滅亡を語っているはずなのに、どこか飄々としていて、聖女との会話も実に気さくです。
「うんにゃ。お前さんはなーんも悪うない」
この言葉に、どれほど救われることか。
国を滅亡させた元凶のように扱われ、魔女と罵られ、最後には命まで奪われた少女。けれど、神様は彼女が何も悪くないことを知っています。彼女の力が何のために与えられたのかも、彼女が何をしようとしていたのかも、すべて分かっているのです。
だからこそ、聖女自身が「これ、あたしのせい?」と尋ねる場面が胸に響きます。
自分を殺した者たちが自業自得の末路を迎えたとしても、自分の存在が本当に災いを招いたのではないか。そんな疑問を抱く少女に対し、神様は真実を教えてくれる。
彼女は災厄の原因ではなかった。むしろ、人間ではどうにもできない災厄から人々を救うために遣わされた存在だったのです。
そして、彼女を失った後のA国には、もう救いの手は差し伸べられません。
ここもまた、考えさせられるところ。神様は万能だから、何度でも人間を助けてくれるわけではない。人間が自分たちの力で何とかすると宣言し、そのために必要な存在まで排除したのなら、その選択の結果を引き受けるのは人間自身です。
もちろん、国の滅亡によって被害を受けるのは、王族や近臣だけではありません。罪のない民もまた、飢饉の犠牲になるでしょう。
だからこそ、この結末は単純に「悪役が破滅してスッキリ!」だけでは終わらないのです。
愚かな権力者へのざまぁとして読める一方で、救いを必要としていた人々が、その救いを自ら失ってしまった悲劇でもある。しかも、その悲劇は神様の気まぐれでも、聖女の呪いでもなく、人間の判断によって引き起こされたもの。
この構図が、短い物語の中にしっかりと収められています。
聖女追放ものが好きな方なら、聖女を不当に扱った王族が破滅する展開には、きっと馴染みがあるでしょう。
けれど本作は、そこからもう一歩踏み込んでいます。
聖女を追放したから罰が当たるのではなく、聖女が必要な状況だったからこそ、彼女が現れたのではないか。
そう考えると、これまで読んできた聖女ものの見え方まで少し変わってくる気がします。
聖女は、王家の権威を飾るための存在でも、王族の都合に合わせて力を振るう便利な道具でもありません。ましてや、権力者に気に入られなければ国に災いをもたらす厄介者でもない。
必要だからこそ遣わされた救いの手。それをどう扱うかは、受け取る側の問題なのです。
短い作品ですが、聖女追放もののお約束を逆手に取り、神罰と自業自得の境界を鮮やかに描いた一作。
理不尽に命を奪われた聖女が、最後には神様に真実を教えてもらい、穏やかな次の生を願えることにも、ほっとさせられます。
聖女を虐げた者たちへのざまぁを楽しみたい方。そして、単なる復讐劇だけではなく、物語の構造そのものをひっくり返すような作品が読みたい方におすすめです。
災害が起きたから聖女が現れたのか。それとも、聖女がいなくなったから災害が起きたのか。
その答えを知ったとき、タイトルの「風評被害」という言葉が、実にしっくりくるはずです。
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