「正しい手順」を踏んだ先にある、本当の自由。婚約破棄ものの新しい痛快さと、静かに胸に刺さる人間ドラマ
「殿下、もし、心惹かれる女性が出来たらご相談くださいませね」
婚約者からこんなことを言われたら、普通はどう思うだろうか。
嫉妬するのか。怒るのか。それとも、婚約者の寛大さに感謝するのか。
本作の王太子エーヴェルトは、どうやら最後の選択肢を都合よく解釈してしまったらしい。
そして、その勘違いが彼の人生を大きく変えることになる。
『婚約関係の見直しは、正しい手順を踏んでくださいませね、殿下』は、政略結婚が当たり前の異世界を舞台にした、婚約解消ものの恋愛ファンタジーである。
ただし、本作の面白さは、単純に「愚かな王太子が婚約者を蔑ろにして、最後に後悔する」というところだけにはない。
自分の自由を主張する人間が、他人の自由をどこまで尊重できるのか。
その問いを、テレーシアという一人の令嬢の振る舞いを通じて、じっくり描いている作品だ。
主人公のテレーシア・エーヴァ・ベーヴェルシュタムは、公爵家の令嬢であり、王太子エーヴェルトの婚約者。王家が代々受け継いできた聖魔法を維持するため、特定の魔力を持つ家との婚姻が重視される世界で、彼女は無属性魔法、とりわけ空間魔法を得意とする貴重な存在だ。
つまり、彼女の婚約は、単なる家同士の政略ではない。王家の血統や魔力の継承にも関わる、国の根幹にかかわる約束なのである。
一方のエーヴェルトは、王族に生まれたために結婚相手まで決められていることに不満を抱いていた。
好きでもない相手と結婚しなければならない。自由に恋愛できない。自分の人生なのに、自分で選べない。
言いたいこと自体は、決して理解できないものではない。
問題は、彼がその不自由さを自分だけのものだと思い込んでいることだ。
婚約者のテレーシアもまた、自分の意思だけでは結婚相手を選べない立場にいる。彼女だって王家と公爵家の都合を背負っている。それなのに、エーヴェルトは彼女の立場を想像しようとしない。
自分は自由を奪われた被害者。婚約者は何不自由なく暮らしてきた公爵令嬢。
そんな一方的な認識が、彼の言動の端々に表れている。
そして、ここからが本作の醍醐味だ。
テレーシアは、感情的に怒鳴り散らしたり、嫉妬に狂ったりしない。王太子の恋愛を頭ごなしに否定することもない。
むしろ、実に丁寧に説明してくれるのだ。
公爵家や侯爵家の令嬢であれば婚約者の変更が検討できること。伯爵家などの令嬢であれば側妃という選択肢があること。さらに身分だけを変えても血筋や魔力は変わらないこと。
その説明が、あまりにも冷静で、あまりにも的確。
読んでいて思わず「そうですわね、殿下。まずは制度を理解なさってくださいませ」と言いたくなる。
この作品のタイトルにある「正しい手順」とは、単なる書類上の手続きの話ではない。
関係する人々の意思を確認し、必要な責任を引き受け、相手の立場を尊重すること。そのすべてを含んだ言葉なのだ。
エーヴェルトは、テレーシアが自分の恋愛を認めたことを、自分の望みを何でも叶えてよいという許可だと受け取ってしまう。
しかし、恋愛を認めることと、婚約者であり続けることは違う。
相手の恋を尊重することと、自分の人生を差し出し続けることも違う。
この当たり前の事実を、彼はなかなか理解できない。
そして、テレーシアはついに婚約解消という選択肢を自分の意思で選ぶ。
ここが実にいい。
彼女は王太子に復讐するために婚約を解消するのではない。彼を憎んだからでもない。自分がこれからの人生をどう生きたいのか、改めて考えた結果なのだ。
「殿下を憎んでいるかどうかと、殿下の妃となるべきかどうかは、別の問題でございますから」
この考え方が、本作のテレーシアという人物を象徴している。
相手を嫌いにならなければ離れられないわけではない。相手に悪意がなかったとしても、その人と人生を共にすることが自分にとって正しいとは限らない。
許すことと、関係を続けることは別。
この割り切りが、非常に大人びていて格好いい。
いわゆる「なろう系ざまぁ」が好きな読者にとっても、テレーシアの選択には大きな爽快感があるだろう。
何しろ、彼女は相手を罵倒する必要すらないのだ。
必要なことを説明し、相手の意思を尊重し、自分にできることをする。間違ったことを正しいとは言わず、相手の都合のために自分の人生を犠牲にすることもしない。
その結果、エーヴェルトは自分の行動によって大切なものを失っていく。
しかも、彼が失うのは婚約者だけではない。
彼が王太子妃にしようとしたオーサ・カリータ・アルフレッドソンもまた、自分の人生を自分で選ぶ女性だった。
エーヴェルトは、オーサが自分に好意を抱いていることを、結婚を望んでいる証拠のように考えていた。しかし、好意があることと、王太子妃になりたいことは同じではない。
彼女もまた、王宮での暮らしや正妃との関係、将来生まれる子供たちの立場などを考え、自分自身の意思で結婚を選ばない。
この展開が、本当に秀逸だと思う。
テレーシアだけが理性的で、ほかの女性は恋愛に振り回されるという構図ではない。オーサにもオーサ自身の人生があり、彼女なりの考えと決断がある。
二人の女性は、エーヴェルトの所有物でも、彼の望みを叶えるための駒でもない。
それぞれが自分の人生を持った一人の人間なのだ。
だからこそ、エーヴェルトが婚約解消の末に直面する現実は、単なる失恋以上の意味を持つ。
彼は恋愛を選ぶ自由を手に入れた。しかし、その恋愛が成就するかどうかは、相手が決めることだった。
自由とは、自分の望みが必ず叶うことではない。
自分で選ぶことができる代わりに、その選択の結果を引き受けなければならないということでもある。
この作品は、その厳しくも当たり前の道理を、王太子という立場の人間を通して描いている。
そして、個人的に印象深かったのは、テレーシアが王宮を去った後の描写だ。
彼女がいなくなって初めて、エーヴェルトは婚約者が担っていた仕事の多さに気づく。
貴族間の調整、宮廷行事の準備、公爵家との連絡。彼が公務に集中できるよう、テレーシアは見えないところで多くの仕事を引き受けていた。
彼女は何もしていなかったのではない。
彼が、その働きを見ていなかっただけなのだ。
ここに、静かなざまぁの気持ちよさがある。
派手な断罪も、公開処刑のような辱めもない。けれど、失ってから初めて、その人がどれほど自分を支えてくれていたのかを知る。
そして、気づいたときには、もう以前の関係には戻れない。
この後悔こそ、何よりも重い。
ただし、本作はエーヴェルトを単純な悪役として切り捨てて終わる物語でもない。
彼は自分の間違いに気づき始める。テレーシアが自分を罰するためではなく、自分の人生を選ぶために婚約を解消したのだと理解する。
その気づきに意味がないわけではない。
けれど、気づいたからといって、失ったものが戻ってくるわけでもない。
反省すれば必ず許されるわけではなく、後悔すれば必ずやり直せるわけでもない。
このあたりの描写には、恋愛ファンタジーでありながら、現実の人間関係にも通じる苦みがある。
一方のテレーシアは、婚約解消を新しい人生の始まりとして受け止めていく。
王太子妃になるための予定ではなく、自分自身のための予定を立てられる。空間魔法の研究を続けてもいい。遠い土地を訪れてもいい。これから何をするかは、ゆっくり考えればいい。
この結末が、とても好きだ。
新しい恋人が現れて元婚約者を見返すわけでも、より高位の男性に見初められるわけでもない。
彼女はただ、自分の人生を自分の手に取り戻す。
恋愛ファンタジーでは、新たな相手との出会いが幸福の象徴として描かれることも多い。もちろん、それも素敵な結末だと思う。
けれど、本作が示してくれるのは、誰かと結ばれることだけが幸せではないということだ。
自分の意思で選べること。自分の時間を持てること。これからの未来を、自分で考えられること。
それだけでも、人は十分に前を向ける。
『婚約関係の見直しは、正しい手順を踏んでくださいませね、殿下』は、婚約破棄、政略結婚、身分制度、魔力と血統、そして後悔と自立という、異世界恋愛でおなじみの要素を扱いながら、その中心に「他者の意思を尊重する」というテーマを据えた作品だ。
テレーシアの理知的な言葉に拍手したくなり、エーヴェルトの身勝手さに呆れ、彼が失ったものの大きさに、どこか切ない気持ちになる。
痛快なざまぁを楽しみたい人にも、人間関係の機微をじっくり味わいたい人にも、ぜひ読んでほしい。
そして何より、読み終えた後には、こんな言葉が心に残るはずだ。
相手の自由を認めることは、相手が自分の望むとおりに動いてくれることではない。
相手には相手の人生があり、自分には自分の人生がある。
その当たり前のことを忘れたとき、人は大切なものを失うのかもしれない。
殿下。
恋をするのも、婚約を解消するのも、ご自由に。
ただし、どうかお忘れなく。
あなたの人生を選ぶ自由があるように、彼女にも、自分の人生を選ぶ自由があるのです。
そのことを、もう少し早く理解できていればよかったのですけれどね。
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