愛されなかったことが、彼女にとって最高の幸運だった。
「貴様を愛することなどない!」
結婚式を終えたばかりの新郎から、そんな言葉を叩きつけられたら、普通の恋愛小説ならここからヒロインの悲恋が始まるのでしょう。
愛されない苦しみに耐え、夫の心変わりを願い、愛人に嫉妬し、やがて真実の愛を勝ち取るか、あるいは傷ついた心を抱えて新たな恋へと踏み出す。そんな展開を想像する読者も多いはずです。
しかし、本作の主人公エルヴィーラは違います。
「そうですか。それでは、わたくしもあなたを愛する必要はございませんわね」
……はい、終了!
この潔さ、この切り替えの早さ。この時点でもう、主人公の圧倒的な強さが伝わってきます。
そもそも彼女は、夫であるフンベルトに恋などしていないのです。貴族として家の利益を考え、両家の事情を踏まえて婚姻を受け入れただけ。相思相愛の結婚を夢見ていたわけでも、侯爵夫人という地位に執着していたわけでもありません。
ところが、夫は自分が彼女に愛されていると勝手に思い込み、愛人ゲルタへの愛を堂々と宣言。挙げ句の果てに、妻を一年間だけ正妻として置き、その後に離婚して愛人と再婚するという、なんとも都合のよい計画を立てていたのです。
いや、待ってください。
あなた、相手の気持ちを確認しましたか?
彼女があなたを愛しているという根拠は?
そもそも、その計画、本当に法的に大丈夫ですか?
……という読者のツッコミを、主人公が実に優雅に、そして的確に代弁してくれます。
本作の魅力は、何といってもエルヴィーラの「相手にしない強さ」にあると思います。
夫に冷遇されても泣かない。愛人に挑発されても怒らない。自分の立場を脅かされても、無意味な争いに乗らない。
なぜなら、彼女にとって重要なのは、誰かに愛されているかどうかではないからです。
自分に何ができるのか。家のために何をすべきなのか。自分の人生をどう歩んでいくのか。
彼女の関心は、最初からそこにあります。
特に印象的なのが、ゲルタとのお茶会の場面です。
「侯爵夫人という立場は、確かに魅力的でしょう。ですが、愛されていない妻というのは、寂しいものではありませんか?」
愛人側からすれば、正妻の地位にいる主人公を揺さぶるための言葉なのでしょう。しかし、エルヴィーラはまるで動じません。
「わたくし、侯爵夫人という肩書に、それほど執着しておりませんの」
さらに、とどめの一言。
「そもそも、欲しがっておりませんもの」
この破壊力!
相手が勝ち誇っている理由そのものに価値を認めていないのですから、そもそも勝負が成立していません。
奪われたものを取り返すのではなく、最初から欲しくなかったものを手放す。だからこそ、主人公は傷つくことなく、自分のペースを崩さずにいられるのです。
そして、ここから物語は、単なる愛人ざまぁでは終わらない展開へと進んでいきます。
本作のもう一つの大きな見どころは、婚姻無効という法制度を利用した逆転劇です。
フンベルトは、主人公との婚姻を一年間続けてから離婚することで、愛人との再婚を実現しようと考えていました。しかし、主人公は夫婦生活を拒絶された事実を記録し、使用人の証言を集め、法令を確認し、着実に準備を進めていきます。
感情に任せて夫を責め立てるのではなく、相手が自分で口にした言葉を証拠として積み重ねていく。
この展開が実に痛快です。
結婚初日の「愛していない」という宣言が、後になって自分自身の首を絞めることになるのですから、まさに因果応報。
しかも、主人公は復讐のために相手を陥れようとしているわけではありません。自分の権利を守り、法に従って手続きを進めているだけ。
その結果、婚姻無効が認められ、フンベルトは主人公との婚姻を利用して再婚するという計画そのものを失ってしまいます。
ここが、本作のざまぁとして非常においしいところです。
主人公が相手を直接打ち負かすのではなく、相手が自分で選んだ行動によって、自分の望みを遠ざけてしまう。
誰かを侮辱したことも、法を都合よく解釈したことも、他人の人生を自分の計画の一部として扱ったことも、すべてが自分に返ってくるのです。
そして、婚姻無効の裁定が下りた後、フンベルトとゲルタの関係にも亀裂が入ります。
ゲルタにとって、フンベルトは愛する男性であると同時に、将来の侯爵夫人という地位を与えてくれる存在でもありました。一方のフンベルトは、自分の愛が絶対的なものであり、相手もまた自分を何より大切にしていると信じていたのでしょう。
しかし、結婚という未来が遠のいた途端、二人は現実を突きつけられます。
ここで描かれるのは、単純に愛人が悪女だったという話ではありません。
愛情と打算が混じり合った関係を、二人とも都合よく解釈していた。その思い込みが崩れたとき、初めて互いの本心と向き合わざるを得なくなったのです。
自分が誰かを愛していることと、相手から何を求められているかを理解することは、決して同じではない。
フンベルトの転落には、そんな皮肉も感じられます。
しかし、本作が最終的に描いているのは、彼らの破滅そのものではありません。
主人公エルヴィーラが、自分自身の人生を取り戻していく過程です。
実家に戻った彼女は、父の領地経営を手伝い、街道整備や流通の改善に関わろうとします。王宮で学んだ知識を活かし、領民の暮らしを豊かにするために働く。彼女にとって、それは単なる失恋後の気晴らしなどではありません。
もともと興味を持っていたことに、ようやく本格的に取り組めるようになったのです。
夫に愛されなかったから不幸なのではない。
夫に愛されなかったことで、自分の人生を自由に選べるようになった。
この違いは、とても大きいと思います。
また、主人公を支える父や侍女アライダ、王宮時代の友人たちの存在も素敵です。彼女の判断を尊重し、必要なときには手を貸しながらも、人生そのものを代わりに決めようとはしない。
主人公が強いのは、決して一人で何もかも背負っているからではありません。自分を信頼してくれる人たちがいて、その信頼に応えながら、自分自身の判断で道を選んでいるからこそ、その姿がいっそう魅力的に映るのでしょう。
そして、物語の締めくくりにあるのは、誰かを見返すための新しい恋ではありません。
いつか心から信頼できる相手と人生をともにする日が来るかもしれない。けれど、それは今すぐ決めることではない。
その考え方が、本当にいいのです。
恋愛を否定するわけではない。結婚を否定するわけでもない。ただ、愛されることを人生の目的にしない。
自分の人生を、自分で選ぶ。
その当たり前のようでいて、ときに難しいことを、エルヴィーラは淡々と実践してみせます。
「白い結婚」という不遇な状況から始まった物語が、法廷での逆転劇を経て、最後には一人の女性の自立と新しい人生の始まりへとつながっていく。
ざまぁの爽快感をしっかり味わえる一方で、読後には、自分の人生を誰かの評価に委ねなくてもいいのだという、静かな解放感が残ります。
愛されなかったことを嘆くのではなく、愛されなくても自分は自分のままでいいと胸を張る主人公。
そして、自分を大切にするために、感情だけでなく知識と理性を武器にする主人公。
エルヴィーラの姿は、華やかな異世界貴族社会を舞台にしながらも、現代を生きる私たちにも通じる強さを持っています。
夫の愛など必要ありません。
愛人との恋路を邪魔する気もありません。
ただし、自分の人生を勝手に利用されるつもりもありません。
その結果、相手は自らの計画に足をすくわれ、主人公は自由を手に入れる。
なんとも見事な逆転劇ではありませんか。
白い結婚から始まったのは、愛のない夫婦生活ではなく、主人公が自分の人生を取り戻すための一年間だったのです。
読み終えたとき、きっとこう思うはずです。
――エルヴィーラ様、どうかこれからは、ご自身の望む人生を思う存分楽しんでくださいませ。
そして、もし次に恋をする日が来るのなら。
今度こそ、彼女が自分の意思で選び、心から納得できる相手でありますように。
そんな願いを込めたくなる、痛快で、そして清々しい物語でした。
コメント