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夢見る仔猫の雑記帳

創作サイト『夢見る仔猫』の雑記帳

押し付けられた仕事、してもいいものでしょうか

仕事を押し付ける王太子に、突きつけられたのは王太子失格の現実。責任を果たさない者の末路とは

「お前がやれ!」

そんなふうに仕事を押し付けられた経験のある方なら、きっと主人公コーデリアの心情に共感してしまうのではないでしょうか。

本作は、甘やかされて育った王太子アシュトンが、自分の責務を婚約者に押し付けようとした結果、王太子の地位も婚約者も失うことになる物語です。

ただし、単純に無能な王太子が婚約者に仕事を押し付け、最後にざまぁされて終わるお話ではありません。

王太子妃教育、王太子教育、王族の責務、そして次代を担う者を育てるということ。そのあたりまで丁寧に描かれた、なろう系ざまぁでありながら、なかなかに考えさせられるヒューマンドラマでもあります。

主人公のコーデリアは、公爵家の令嬢であり、十歳のときに王太子アシュトンの婚約者となった女性。

彼女は婚約以来、淑女教育に加えて王妃教育を受けてきました。他国の言語や歴史、外交、貴族間の力関係、領地の情勢など、将来王妃となるために必要な知識を学び、さらには王族の執務に関する書類仕事まで教えられます。

最初はその理由に疑問を抱きながらも、彼女は与えられた教育を真面目にこなしていきます。

一方のアシュトンは、王家にとって待望の一人息子。祖父母にも両親にも溺愛され、本人の思いどおりにならないことがあれば癇癪を起こすような人物に育ってしまいました。

婚約者に諫められれば逆上し、熱いお茶をかけて火傷を負わせても謝罪すらしない。

この時点で、もう王太子としてどうなのよ……と思ってしまいます。

しかも、学院に入学すれば成績は最下位クラス。将来の国王となるべき人物が、周囲の側近候補たちを頭痛の種にしているのですから、国の行く末が心配になるのも当然でしょう。

しかし、本作の面白さは、アシュトンの無能さを笑って終わりにしないところにあります。

彼は王太子としての実務を任されるようになりますが、視察の報告書すらまともに書けません。そこで婚約者のコーデリアと側近候補が手助けをし、本人が自分で仕事を進められるよう、徐々に慣らしていこうとします。

ここだけ見れば、周囲が支えて育てていけば何とかなるのでは、と思えなくもありません。

ところが、アシュトンはその手助けを当然のものと考え、反省するどころか、ついには自分が処理すべき公務の書類を婚約者に押し付けるようになります。

しかも、相手はまだ王太子妃ですらない婚約者。国政に関する権限もなく、責任を負える立場でもありません。

このあたりの描写が実に興味深いのです。

仕事を押し付けるという行為は、単に相手に負担をかけるだけではありません。権限のない人間に責任を負わせようとすることでもあります。

コーデリアが書類を受け取らず、教育係や父親、王妃に報告するのは、意地悪でも仕返しでもありません。自分にできることと、してはいけないことをきちんと区別しているからです。

そして、仕事を押し付けられた側が、周囲の力を借りて正当な手続きを踏むことで、事態は少しずつ動いていきます。

ここが本作の痛快なところ。

主人公が感情に任せて怒鳴り返すわけでも、派手な報復を仕掛けるわけでもない。自分に与えられた役割を果たしながら、越権行為にはきちんと対処する。その積み重ねが、最終的に王太子の立場を揺るがすことになるのです。

もちろん、アシュトンの問題は仕事を押し付けることだけではありません。

学院では男爵令嬢と節度を欠いた振る舞いをし、王城には本来立ち入る資格のない彼女を連れ込み、あろうことか王太子の証である印璽まで婚約者に投げつけます。

ここまでくると、もはや救いようがないと言いたくなりますが、王妃が事態を重く受け止め、国王や宰相、元老院などが関わっていく展開には、王家という組織の重みが感じられます。

そして迎える決定的な場面。

何度注意されても改まらず、再び仕事と印璽を押し付けたアシュトンに、王妃は王太子としての責務を放棄したのだと告げます。

この場面は、まさに積み重ねてきたものが一気に結実する瞬間です。

アシュトンは、自分が王家の一人息子であり、いずれ国王になるのだから、どれほど好き勝手をしても最後には許されると思っていたのでしょう。しかし、王太子という地位は、ただ大切にされるための称号ではありません。

責務を果たしてこその地位なのです。

さらに明かされる、コーデリア自身に秘められていた可能性も見どころです。

彼女は単に次期王太子妃として育てられていたわけではなく、王位継承権を持ち、帝王学まで学んでいた人物でした。

これまでの厳しい教育にも意味があり、周囲が彼女を支えてきた理由にも納得がいきます。

そして、アシュトンの廃太子と王位継承権剥奪、コーデリアの立太子、婚約の白紙撤回へ。

ここで重要なのは、コーデリアがアシュトンを蹴落とすために動いていたわけではないという点です。彼女は自分の責務を果たし、できないことはできないと伝え、必要な相手に助けを求めてきただけ。その結果として、王太子にふさわしくない人物がその地位を失うことになったのです。

いわゆる「ざまぁ」の爽快感を味わえる一方で、本作にはもう一つ、印象に残るテーマがあります。

それは、子どもを甘やかすことと、子どもを大切に育てることは違う、ということ。

アシュトンの両親や祖父母は、待ち望んだ子どもを愛していたのでしょう。しかし、叱るべきときに叱らず、責任を学ばせる機会を十分に与えなかった。その結果、本人だけでなく、王家や国全体にまで影響を及ぼすことになってしまいました。

だからこそ、物語の終盤で国王夫妻が自らの責任を認め、財産を国に寄付し、退位後は息子の領地へ隠居する決意を示す場面には、単純な勧善懲悪だけでは片付けられないものを感じます。

アシュトンが悪い。それは間違いありません。

けれど、彼をそう育ててしまった大人たちにも責任がある。だからこそ、彼らもまた自分たちの行いに向き合わなければならないのです。

そして最後、コーデリアが抱く後悔にも心を動かされます。

自分がもっと上手に諫めていれば、何かが変わったのではないか。

そんな彼女に、婚約者となったギデオンは、それは彼女の役目ではなかったと告げます。親や教育係が果たすべき責任まで、同年代の婚約者が背負う必要はないのだと。

仕事を押し付けられることと、相手の人生にまで責任を負わされること。その境界線を、ここでもはっきりと示してくれます。

コーデリアは過去を振り返りながらも、その後悔を未来に生かそうとします。次期女王として、そして母として、次の世代を健やかに育てていくために。

ざまぁの爽快感だけでなく、責任とは何か、支えるとはどういうことか、そして人を育てるとはどういうことかまで描かれた本作。

仕事を押し付けてくる相手にうんざりしている方にも、努力する主人公が正当に評価される物語を読みたい方にも、ぜひ読んでいただきたい一作です。

最後まで読み終えると、タイトルの問いかけがじわじわと効いてきます。

押し付けられた仕事は、してもいいものなのか。

答えは、ただ「嫌なら断ればいい」という単純なものではありません。誰がその仕事を担うべきなのか、権限と責任は一致しているのか。そして、その仕事を引き受けることが本当に相手のためになるのか。

そんなことを考えさせてくれる、読み応えのある異世界ざまぁでした。

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